
社会問題化した「ひきこもり」
「孤立無援」という言葉があります。
この4文字の漢字を見ただけでも、あるいは「こりつむえん」と声に出してみても、何か背筋が凍りそうな気がする恐ろしい言葉と感じる人は多いことでしょう。
人間は、社会生活を営む以上、決して一人だけで生きていくことはできません。そして、社会人となって仕事をするには必ず他人とのコミュニケーションが必要であり、他人と一切関わらずに仕事を続けていくことができないのはいうまでもありません。
現代の日本においては、社会に出て他人と交わりながら仕事をすることができずに自宅に閉じこもってしまう「ひきこもり」という現象がこの20年ほどで大きな社会問題となっています。「ひきこもり」が顕在化したのは中高校生の不登校問題からでした。
学校生活にうまく適応でき不登校となる生徒たちが全国規模で増加してきたのは1980年代からといわれています。そして不登校で自宅にひきこもっていた未成年たちが成人しても社会に出ることができず、「ひきこもり成人」となるパターンが問題となってきたのです。
「ひきこもり」と「孤立無援」
生徒たちの不登校の多くは校内でのいじめなどがその原因の大半とされていましたが、クラスメートからのいじめによって精神的に傷ついた子供が他人とのコミュニケーションがとれなくなってしまうという由々しき事態に日本社会が直面したわけです。
子供たちにとってはまさに「孤立無援」という精神状態であり、自分の殻に閉じこもる以外に精神的に落ち着ける環境がない状態だといえます。
そして今、この若者の「ひきこもり」と裏返しの現象が高齢者を襲っています。
それが高齢者の精神を蝕む「孤立無援状態」です。
定年退職後、さまざまな理由によってひとり暮らしを余儀なくされている高齢者の数は急増してきています。高齢者となってからのひとり暮らしの辛さ・切なさは、おそらくそれを経験した当人にしか分からないでしょう。
必要とされる高齢者の精神的ケア
日本人には「他人に迷惑をかけてはいけない」という美徳があり、これを守ろうとする真面目な人ほど「孤立無縁」の恐怖心から逃れられないところに残酷な現実があります。孤独な高齢者にとって、なにより必要なものは決して金銭的援助などではありません。周りに親族や知人がいない高齢者にとって大切なのは、他人とのコミュニケーションがとれることです。
地域社会ではデイサービスなどを充実化させることで、独居高齢者の精神的ケアを図ろうという動きが出てきてはいますが、急速に進む少子高齢化によって、十分に機能しているとはいえないのが現状なのです。
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