
世相を反映した言葉
世相を反映した流行語や新語が、生まれては数年もたたずに消えていくのは世の常です。多くの流行語や新語の大半は時代の波と歴史の中に埋もれていきます。ある言葉は過去を振り返る際に「懐かしい響き」として人々の記憶を甦らせ、またある言葉は「時代を象徴する言葉」として語られることが多いといえます。
しかしながら、できれば広まって欲しくない流行語や新語もあります。最近では「孤独死」や「孤立死」がそれにあたります。この漢字3文字を見てみなさんはどう感じられるでしょうか?
「悲惨」「残酷」「寂しい」「むごい」「悲しい」「かわいそう」・・・聞いただけで、頭の中に浮かんだイメージを消してしまいたい感情にかられる人がほとんどなのではないでしょうか?
背景にある高齢化社会
「孤独死」と「孤立死」・・・このたった3文字の中に、現代の日本が抱えるさまざまな問題点が凝縮されているといってもよいでしょう。そしてその問題は「少子・高齢化社会」「核家族化の進行」「住宅事情の変化」「個人主義の台頭」などが複雑にからみあって発生しています。
「孤独死」という言葉がマスコミなどで取り上げられるようになったのは、少子化と高齢化社会が社会問題化し始めた1980年代以降です。「孤独死」と同時に「独居老人」という言葉がよく聞かれるようになったのもこの頃からです。
「孤独死」には、一人暮らしのお年寄りの寂しい死というイメージがあり、残念なことには一時的な流行語とはならず、今では日常生活で普通に交わされる会話に出てくる単語として定着していることが、深刻な現代的問題を表しているともいえるでしょう。
そして2000年以降には「孤立死」という言葉が話題に上るようになりました。「孤立死」には、「孤独死」よりもさらに悲惨で救いようのない無常感が込められていると思う人は少なくないでしょう。
ひとりひとりが向き合って解決を
流行語や新語は世相を表すといわれますが、「孤独死」に加えて「孤立死」もすでに大きな国語辞典には掲載されており、「普通の日本語」となることはもはや避けられないのでしょうか?
アジア有数の先進国として欧米諸国に肩を並べる我が国で、「孤独死」や「孤立死」といった単語が多くの日本人から発せられることは、恥ずべきことだと思わねばなりません。
「孤独死や孤立死につながる独居老人の増加は、政治が解決すべき問題」という声がありますが、政治家任せにすれば解決できるという単純な問題では決してありません。国家的課題であると同時に、地域社会の問題であり、家族・親族のひとりひとりが真摯に向き合うべき社会的宿題なのです。
一日でも早く「孤独死」と「孤立死」という単語を死語にするための努力が、われわれ日本人に課せられた使命といえるのではないでしょうか?
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